現実が変わるってこういうこと1
こんにちは。
トーシャ・シルバーさんの本を読み返している最中に、これまでで一番 大きな変化を体験したので、今回はそのことについて書こうと思います。
とある日の朝、母が洗濯干し場のことで気になっていることや改善したいことについて話し始めました。
洗濯干し場の不便さ(庭の一画屋根付きですが、雨が降ったりすると水はけが悪い他)については、これまでにも何度も話にあがっていたのですが、ずっとどうすることもなく、どうすることもできず、平行線のままだったんですね。
このことで何度も父と口論になっていました。
母なりに、こうしたらよくなるはずと思うアイディアを出してくるのですが、あまりにコストがかかりすぎる内容で、わたしや父は現実的ではないと思っていました。
わたしも洗濯物を干すので、母が言っている不便さを理解してはいましたが、どうにかしなきゃと思いつつ、現実的でわたしができる有効策がなかなか思いつきませんでした。
アイディア自体はわたしも出していたのですが、反応がイマイチで・・・
それから、洗濯干し場に立つことのない父が、母の言う不便さを理解することができなかったことも、何も変わらなかった原因のひとつだったかもしれません。
その立場に立たないとわからないことってありますよね💦
同じことで何度も口論になり、そのたびに何も変わらない、ということが続いていました。
しかも、今回は朝の出勤前(出勤前にこんなことが起こるのは、初めてではないですが、キツいんですよね💦)
またかと、正直なところイヤな気分になったのですが、洗濯物を干すときの不便さはじゅうぶん分かっていたので、早急にどうにかしなきゃと思いつつイヤな気持ちを抱えたまま仕事に向かいました。
職場に向かう途中
ふと、今こそゆだねるときじゃない?と思ったんですね。
これまで何度も同じことで口論して、何もよくなっていないんです。
両親の、お互いに向ける言葉や言い方では、落ち着いて話し合うことは難しいだろうなと思いつつ、やっぱり親なのでどうにかしたいと思ってしまうんですよね。
いつも険悪なわけではないですよ💦
二人を見ていると、どちらか一方の話をするとか聞くのではなく、
お互いに相手の言うことには敬意をもって聞くという姿勢が必要じゃないのかなと考えさせられます。
今回、わたしが作った文は
「みんながハッピーな方法で(洗濯干し場のことを)解決できるよう導いてください」
職場に着くまで何回か繰り返しつぶやいたり、脳内で繰り返したり、口パクで言っていました。
どうしても、自分がどうにかしなきゃと思ってしまうんですが、
わたしが間に入ったり、わたしが何かアクションを起こしたところで、両親は何も変わらないし、たぶん二人にとってなんの意味にもならないんですよね。
「もうわたしできないよ」
「もう、降参」
そんな気持ちが出てきました。
なんというか、これ以上 わたしにできることはないと、誰かにどこかに丸投げするしかなくなったんですね。
これまでは、それでもどうにかしなきゃと思っていましたが、今回は「もうできない」と思ったんです。(「どうにかしなきゃ」はゼロになってはいません💦)
現状へのあきらめと降伏+ちょっとしたやけくそ感がありました。
でも、それがよかったのかもしれません。
引き寄せでも、あきらめたら望むものが手に入ったという話を聞きますよね。
同じ原理なんだと思います。
「みんながハッピーな方法で解決できるよう導いてください」
仕事中にも何度か思い出すくらいで、そんなに集中して唱えていたわけではありません。
ちなみに、休憩時間にも本を読み進めていたので、帰宅するときには
「わたしは幸福に値すると信じさせてください」も加わっていました。
その日の夕方は、お腹の中が少しモヤモヤしながら帰宅。
帰り道は「わたしは幸福に値すると信じさせてください」をリピートしていました。
たまたま いつもと違う道を通って家に着くと、洗濯干し場が変わっていることに気がつきました!
雨が降っても水がたまらないようになっていたんです。
きちんと整備されているという感じではありませんが、それでも業者さんを入れたのかなと思ったくらい変わっていました。実際は父がやったんですけどね。
実はその日、いつも通る道で知らない人が数人 立ち話をしていたので、そこは通りたくないなと思って、道を変えたんですね。
だからこそ変化にも気づけたんです。その流れにも驚きました。
母は、それでもまだ不満がありそうな雰囲気でしたが、わたしとしては十分だと思いました。
これまで母が何度も同じ話をするたびに鬱陶しそうにしていて、イラついていた父が今回は動いたんですよ!衝撃でした。
現実が変わったんです。
それも今までいちばん大きな変化でした。
こんな変わり方を体験したことがなかったので、わたしがこの件をゆだねなくても起こった出来事なんじゃない?タイミングがよかっただけなのかも・・・と思ってしまい、完全には信じ切れない自分もいます。
でも、変わったことは事実だし、良い方向への変化だったのでとてもうれしかったですね。
「みんながハッピー」に近い形でおさまったと思っています。
おまけの小話
その日の夜、お風呂から出るとラジオからNe-Yoの “Let Me Love You” が流れてきました。
久しぶりに聞いたな~、これって「わたしは幸福に値すると信じさせてください」の返事っぽくない?と思ったんですね。ちゃんと見てるよ、みたいな。
しばらく聞いていたんですが、そろそろ曲が終わるというときに、濡れたままだった髪を乾かし始めました。
乾かすには10分くらいかかってしまうんですが、なんと髪を乾かし終わったあとでも、ラジオからはNe-Yoの “Let Me Love You” 流れていたんです!
髪を乾かす前に聞いたのとは少し違っているように聞こえたので、バージョン違い?ラジオ番組のミス??
え???という感じでした。
こんなことってあるんでしょうか・・・?
わたしは歌が耳に入ったから聞いていただけで、そのラジオ番組を聞いていたわけではなかったので理由はわからないのですが、きっと何かあったのでしょう。
でも、その時のわたしは、なにか大きな力が確かにわたしを見ているのかもしれないと、ほんのちょっとですが実感することができました。(やっぱり信じ切れないところはありますが・・・)
そしてこの翌日、母にもこれまでとは違った変化が見られました。
それにもわたしはとても驚いたのですが、その話は次回にしたいと思います。
Thank you for reading my blog♪